
地方で設計をするようになって、意識するようになったことがある。
東京で設計していたときは、当然のように敷地が狭い。
法律ぎりぎりを攻めながら敷地いっぱいに建てることに疑念の余地もない。
すると、どうしても設計としては「光」が主題になりやすい。
光を何とか上手に取り込んで、隣家との視線に配慮しながら、断面的に面白い空間をつくる。
少々乱暴だが、都市で設計することは「光遊び」や「空間遊び」に向かいやすい。
私は独立して初めての仕事が、沖縄の石垣島に建てた住宅だった。
何度も島を訪れるうちに、猛烈な暑さをやわらげる「季節風」の存在に気付く。
そのときは、何気なくこの風向きに合わせて窓を配置しただけだったのだが、家が完成してから、その効果の大きさと風の気持ちよさに自分でも驚いた。
その心地いい風に吹かれていたとき、若いころ旅をした宮島の豊国神社(千畳閣)のことを思い出していた。
初夏の日差しのなか歩き疲れた先に行きついた、柱と屋根でできた建築。
壁も天井もない暗がりのなかに射し込む僅かな光と、縦横無尽に通り抜ける風。
広々とした板の間に、人々が座り、横たわり、おもいおもいに過ごしている。
私も海から登ってくる気持ちいい風に身をゆだねて横になった。
はじめて建築で「風」を意識した瞬間だったかもしれない。
都市で風を扱うことはとても難しい。
建物が過密な上に、風が抜けるはずの道路も車の流れで分断される。
予測もさることながら、風を取り込む窓をその方角に開けられるのかも定かではない。
地方では、まだ「風」は生きている。
敷地に十分な余裕があるとは限らないが、それでも、都市に比べれば周囲との距離があり、季節風を意識して設計できるゆとりがある。
もちろん昨今の気象状況では、エアコンは必須だし、高気密高断熱などの省エネ化も進めていくべきである。
しかしなるべくなら、自然の風に身を任せられるような家を設計したいと思う。
ひと昔前なら当たり前だったことが、意識しないと抜け落ちてしまう。
特に視覚情報に慣れ過ぎている私たちは、風のように目に見えないものを忘れがちだ。
建築の基本は「光」そして「風」。
地方で設計してあらためて、そのことを考えるようになった。
書いたひと
宇賀神 亮