
知る人ぞ知る、と言っては大袈裟だろうか?
千葉の自然豊かな森のなかに、その小さな美術館はある。
「as it is」の名の通り、その場所に、土から生えてきたかのような「あるがまま」の姿で佇んでいる。
以前のブログでも紹介した、古道具商「坂田和實」が建てた美術館である。
坂田さんが世界中を奔走し集めてきた、古い日用品や工芸品を展示・収蔵している。
古道具についてはまだ門外漢の私だが、この美術館自体はかなり前から知っていた。私淑する「中村好文」さんが設計した建築だからだ。
基礎を掘るために掘削した土を、そのまま外壁に塗りつけた土壁は、森の緑を浮かび上がらせるキャンバスのようだ。
寸胴のような直方体の土壁に、開口部は寂びた鉄格子に木製の戸。軒天のトタンは異質のように見えて片田舎ではよく目にする農機具小屋の屋根を思い起こさせる。
「形(フォルム)」と「素材(マチエール)」を頼りに、自身の眼で古道具の世界を切り開いてきた坂田さんの美術館に相応しい建築だ。
蔵の入り口のような鉄格子の戸を引いて入ると、いきなりのメインホール。
といってもほんの小さな空間だが、薄暗い森を通ってきたことで想像以上に明るく開けた場所だ。森のなかから空間は始まっていたのだ。
展示品は仰々しい額装など一切なく、土の壁や古い床に、はじめからそこに在ったかのように自然に飾ってある。いや、置いてあるといった具合だ。

展示品についてはどうこう言えるほどの知識はないが、その一つひとつに物語を考えさせるだけの魅力のあるものたちばかりだった。
「剥ぎれⅡ」と題された今回の展示は、紙布や家具、建築の一部など、何かから剥がれたものが30点ほど並ぶ。
建築と展示の親和性というと、アーティストがその展示空間のために直接製作を行う「サイトスペシフィック・アート」などがあるが、ここでは建築と展示物が別々に、しかも国も年代も跨いでやってきた物たちが不思議と仲良くそこに居合わせている。
坂田さんと中村さん、気の合う二人の眼が重なることで、見事な調和を生み出しているようだ。
さて、二階や和室、小庭もあり、至る所に中村節のディテールが散りばめられている。そんなところをじっくり眺めたり、写真に収めたりしていると、「建築関係の方ですか?」と館の方に声を掛けられる。
よくキョロキョロしているので不審者に間違われる「建築バ家」であるので、何かやってしまったかとドギマギしていると、なんと建築雑誌の掲載記事と中村さんの著作を持ってきてくださったのだった。
こんな迷惑な客も少なくないのだろう。雑誌はボロボロになるまで読み込まれていた。
記事に目を通していると、さらに濃いお茶を淹れてくださり、少しお話をしながら、ゆっくりとした時間を過ごさせてもらった。

お昼になろうかという時分、帰り際に一組の来客とすれ違ったが、午前中訪れたのは私一人だけだったようだ。
森のなかの辺鄙な場所にある上に、土日しか開いていない。アピール合戦の時代にあってSNSもない。
時代に取り残されたものたちを扱うこの美術館もまた、時代に取り残されてしまうのだろうか?
だとしたら見直すべきは時代の方ではないか、そんなことすら思わせてくれる希有な美術館である。
あるいは、それすらも「as it is…」あるがままに、ということだろうか。
時代に合わせることなく、我が道を突き進んだ坂田和實、その人となりをそのまま体現したかのような素晴らしい美術館であった。
何かの折、また足を運ぶだろうことを確信しながら、小雨の降る静かな森を抜け帰路についた。
書いたひと
宇賀神 亮