先月末、軽井沢の脇田美術館で開催された「建築ワークショップ2025特別編 ジョージ・ナカシマの仕事を語る 生誕120年」に参加してきました。
建築史家の松隈洋さんと、ジョージ・ナカシマの家具を製作している氷見宏介さんの貴重なお話を伺うことができました。

トークイベントは展示室内に椅子を並べて行われました。絵の飾ってある展示室でお話を聞くのも面白いですね。
ジョージ・ナカシマは家具で有名になりましたが、アントニン・レーモンド事務所に勤めていたことから、吉村順三や前川國男とも親交があり、もともとは建築畑の人でした。
米国生まれの日系人ですが、戦中は強制収容所に抑留されるなどの苦労を強いられます。
レーモンドの尽力により収容所から解放されたナカシマは、ペンシルベニア州ニューホープに移り住み、建築ではなく家具を作り始めます。
緑豊かな土地で木の命を大切につなぐようにつくられた家具は、繊細さと力強さを併せ持つ独特の魅力があります。
話は、ナカシマのインドでの仕事など知らないことが盛沢山で刺激的な内容でした。
印象的だったのは、ナカシマが建築家から木工家へ転身した理由。
・工業化によりアメリカでのクラフトマンシップが失われてしまったこと。
・建築はどうしてもお金の話ばかりになってしまうこと。
80年くらい前の話だと思いますが、すでに現代の悩みの種と変わらないのだなと、少し残念に思います。
結局のところ建築は時代の現実から逃れられない。
だからこそ、ナカシマは初めから終わりまで自分でつくれる家具に移行し、自分の理想を追求したのだと思います。
私も同様のことを考えたことがあり、家具デザインをするようになりました。
体力がないため製作は諦めましたが、できていたら木工家を目指していたかもしれません。
今はどちらがというよりも、建築も家具もひとつながりのものとして捉えています。

トークイベントのあとは美術館の隣に建つ、脇田山荘を見学しました。
こちらは施主であり洋画家の脇田和の別荘兼アトリエです。設計は私の敬愛する吉村順三。東京藝大で同僚だったことから設計することになったようです。
建物は吉村さん得意のピロティで2階に生活空間を浮かせる構成。多湿の軽井沢では有効な手法です。
平面が細長く、中庭を囲うように折れ曲がっているので、どの部屋も中庭に面して気持ちよさそうな窓際になっています。
簡素で、伸びやかで、やっぱり吉村建築はいいなぁと、しみじみ思いました。

内部は屋根に合わせた勾配天井。窓際がかなり低くすごく落ち着くスケール感です。木が経年して、ジョージ・ナカシマの家具も馴染んでいますね。
吉村建築の研究をされている、共立女子大の稲葉先生がいろいろと説明をしてくださいました。
内装のカラーセレクトは、脇田さんが自ら選定したとのことで、なるほど納得。赤いソファに紫の絨毯はなかなか建築家は選べないのではないでしょうか。
施主と建築家の相性は大事ですね。
55年も前の建築ですが設備も考え抜かれていて、床下に温めた空気を送り壁から出す仕掛けで、部屋全体を温めるようになっています。韓国の「オンドル」を参考に考えられたそうです。

アトリエ部分は、脇田さんが亡くなられたときのまま保存されいるとのこと。トップライトからの自然光の下で絵を描いていたのですね。
短い時間でしたが貴重な体験ができました。
山荘は春と秋に公開しているので、ご興味のある方は脇田美術館のWebサイトをチェックしてみてください。
書いたひと
宇賀神 亮